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あたりまえのことを(A)バカになって(B)ちゃんとやる(C)

 

「仕事も人生もABCが大事」と著者は説きます。

 

どういうことかというと、ABCは本書のタイトルの頭文字で、Aはあたりまえのこと、Bはバカになること、Cはちゃんとやることを意味しています。

 

そして、ABCを実践している人は、運がよくなり、人生がうまくいき、幸せになれるというのです。

 

たとえば掃除一つをとっても、誰にも負けないくらい、来る日も来る日も同じ場所を徹底的にやる。

 

あたりまえのことを、バカになって、ちゃんとやることで、これまで見えなかったものが見え、気づけなかったことに気づけるようになる。

 

本書は、いま人気の経営コンサルタントが一番書きたかったことの、まさに集大成といえる一冊です。

[amazonより引用]

 

このABCを実践すれば、誰でも成功できる。

 

著者は13年間、トイレ掃除を日課としてきた経営コンサルタントだそうで、自身の経験に基づいて「確信を持っている」ようだ。

 

あなたの心に「ピン!」と来るものがあったら、たった今、すぐに行動しなさい。

 

あたりまえのことをバカになってちゃんとやる - 小宮 一慶
あたりまえのことをバカになってちゃんとやる - 小宮 一慶

神に助けを求める必要はない。なぜなら、神はあなたに24時間365日休みなく語りかけているのだから

 

わたしは、この本だけを通して語っているのではない。

 

あなたの魂の真実のなかに、わたしの声を聴きなさい。正直な気持ちのなかに、わたしの声を聴きなさい。精神の静けさのなかに私の声を聴きなさい。

 

どこででも、わたしの声を聴きなさい。

 

質問があるときはいつでも、わたしがすでに答えているのだと思いなさい。

 

そして、あなたの世界に目を開きなさい。

 

 

 

わたしの答えはすでに発表されている記事のなかにあるかもしれない。

 

これから聞く説教のなかにあるかもしれない。

 

製作中の映画のなかにあるかもしれない。

 

昨日、作曲されたばかりの歌のなかにあるかもしれない。

 

愛するひとの口から出かかっている言葉のなかにあるかもしれない。

 

知り合おうとしている新しい友人の心のなかにあるかもしれない。

 

 

 

私の真実は風のささやき、小川のせせらぎ、稲光、雨音だ。

 

土の感触、百合の香り、太陽の暖かさ、月の満ち欠けだ。

 

わたしの真実-そしてあなたが困ったときの頼りになる支え-は、夜空のように荘厳で、赤ちゃんのおしゃべりのように単純であどけない。

 

心臓の鼓動のようにささやき-わたしと一体になった息づかいのように静かだ。

 

 

 

わたしはあなたから離れない。離れることはできない。あなたはわたしの創造物、作品、娘であり息子、わたしの目的であり、そして、わたしの……、自己だから。

 

だから、いつでもどこでも、神の平安から切り放されたら、わたしを呼びなさい。

 

わたしはそこにいるだろう。

 

真実と

 

光と

 

愛とをたずさえて。

 

 

 

 

 

神との対話より、大好きな場面を引用させて頂きました。

 

このブログでは私自身のために言葉を記録していますが、ここにある言葉があなたに伝わり、さらに大きな波となってどんどん広がっていくことを願っています。

 

人類はいつになったら滅亡するのか?

人間は、運命に翻弄される、か弱い存在ではありません。
運命を創造する、力強い存在なのです。

 

[以下、「神との対話」より引用] ところで、わたしが「神さまとの直通電話」を持っていると思っている人がたくさんいるんですが、彼らは、地球は滅亡する運命なのか、知りたがっています。前にもうかがいましたが、もっと直接的な答えがいただきたいんです。大勢の人が予言しているように、地球には変化が起こるのでしょうか?そうでないとしたら、超能力者たちがいうのは、つくりもののヴィジョンですか?わたしたちは、祈るべきなんですか?変えるべきなんですか?私たちにできることがあるんでしょうか?それとも、悲しいことに絶望するしかないんでしょうか?

 

その問題なら、喜んで話してあげるよ。ただし、「先へ進む」わけではないね。時間についてのこれまでの説明の中で、答えはすでに与えられているからね。

 

「将来起こることはすべて、すでに起こっている」という、あの説明ですか?

 

そうだよ。

 

でも、「すでに起こっている」すべてというのは、何なのですか?どうなふうに起こったのですか?何が起こったのですか?

 

すべてだよ。すべては、すでに起こっている。あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。

 

どうしてそんなことが可能なのか、まだ分からないんですが。

 

分かりやすく話してあげよう。子供たちがCD-ROMでゲームをやっているのを見たことがあるだろう?そのとき、子供たちのジョイスティックの動きひとつひとつにどう応じればいいのか、どうしてコンピュータに分かるんだろうと思ったことはないか?

 

ありますね。不思議だと思いました。

 

すべてCD-ROMにある。コンピュータがあらゆる子供たちの動きにどう応じればいいのかを知っているのは、可能性のあるすべての動きとその適切な対応がすべて、CD-ROMに記録されているからだ。

 

いやあ、奇妙ですね。シュールだなあ。

 

すべての結末、結末に至るすべての紆余曲折が、すでにCD-ROMにプログラムされていることがシュールかな?ちっとも「奇妙」なことはないよ。それが技術じゃないか。で、ゲームの技術に感心するなら、宇宙の技術を考えてごらん!

 

宇宙の車輪をCD-ROMだと想像してみればいい。すべてのエンディングはすでに存在している。宇宙はただ、あなたがたが今度はどの動きを選択するかを待っている。あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙は言うだろう。「もう一度、やりたいかい?」

 

CD-ROMはあなたが勝とうが負けようが気にしないし、「感情を害し」たりもしない。ただ、もう一度ゲームをするチャンスをくれるだけだ。すべてのエンディングはすでに存在する。あなたがどのエンディングを経験するかは、何を選択するかによって決まるのだよ。

 

すると、神さまはただのCD-ROMみたいなものなんですね?

 

わたしは、そうは言わないな。だが、この対話では、誰にでも理解できる概念で説明しようとしている。だからCD-ROMの例えを使ったのだよ。生命は、多くの点でCD-ROMのようなものだ。すべての可能性が存在し、すでに起こっている。どれを経験するかは、あなたの選択しだいだ。

 

地球の変化についても、まったく同じことだよ。多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。彼らは「未来」への窓を開いて見たのだ。問題は、彼らが見たのはどの「未来」かといういうことだな。CD-ROMのゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるのだから。

 

あるヴァージョンでは、地球には天変地異が起こる。あるヴァージョンでは起こらない。じつは、すべてのヴァージョンはすでに起こっている。思い出してごらん、時は---

 

知ってます。知ってますよ。「時というものは存在しない」

 

そのとおり。すると、どうなる?

 

だから、すべてのことはいっぺんに起こっている。

 

そうそう、そのとおり。かつて起こったことはすべて、いま起こっているし、将来起こることはすべて、いま起こっている。だから、超能力者が予言する滅亡は真実なのかと考えるのなら、関心をすべてそこに集中してごらん。そうすれば、その滅亡を自分に引き寄せる。べつの現実を体験したいと思うなら、そちらのほうへ関心を集中すれば、その結果が引き寄せられるだろう。

 

すると、地球に変化が起こるのかどうかは教えてくれないんですね。

 

あなたがどうするのか、こっちが聞いているのだよ。あなたが、思考で、言葉で、行動で決定するんじゃないか。
[引用終わり]

 

神から必死に予言を引き出そうとしているニールの姿を思い浮かべると、思わず笑ってしまいます。

 

人間は“神の一部”であり、神は“人間という分身を通してありとあらゆる経験をしたい”と願っているのであれば、神の言葉によって人間の行動に影響を与えることは、自らの意志に反することになります。

 

これがよく聞く“観察精神”というものなのでしょう。

 

本来、全知全能の存在である神にとって“できないこと”は何もないはずです。

 

完了した出来事として存在するあらゆる可能性の中から、人類が“何を”選択するのか、それを知ろうとすればできるはず。

 

しかし、神自身の目的を達成するためには、人間の存在意義を覆してしまうことは“できない”というのであれば、これはまさにパラドックス。

 

神が“できない”のですから、人間がいくら得意になって予言しても外れて当たり前ですよね…

 

 

 

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